IE9ピン留め



どうでも良い様な独り言を淡々と呟いて行くチラシの裏
by cocktail-oh
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その時、本棚に乱雑に仕舞った参考書のタワーが崩れ落ちるように落ちてしまった。
「あーあ・・・」
俺はため息を吐きながら床に散らばった参考書を手にとって今度は丁寧に一冊ずつ本棚に仕舞っていった。
不意にドアが開く音が聞えた。
「終わった?」
高橋教授がアゴに蓄えたヒゲを擦りながら現段階の状況を観察しに来た様だった。
「まあ、この通り」
「この通り、ねえ」
研究室を見渡す高橋教授のしかめっ面は見物だった。
「まだ終わってないみたいだね」
「いえ、"自分としては"終わりです。ノルマを指定されていませんが何か?」
「君は小学生かね?これが掃除の領域に入るとしたら、全世界の清掃作業員の方々はどれだけ楽な事か」
清掃員の重労働何か知ったこっちゃない俺は小学生の頃、道徳の時間に毎回「死」をテーマにした語りを入れる俺を叱った教師にトイレ掃除をさせられた事を思い出した。
ああ、なるほど。確かに大変だな。
「所で、先ほど香奈邊君が此処から出て行ったのを見たけど、彼女?」
高橋教授と香奈邊はどうやら入れ違いで入ったらしい。彼女の苗字を言う素振りから、教授は一応は生徒を把握しているたらしい。
教授の質問に、俺は軽くNOと答えてやった。
「そう」と何故か残念そうにする中年。薄汚れた大人にはもう大学生時代の恋何て忘れてるんだろう。
「彼女さ、今まで大学通信教育だったんだけど、訳有りで通信教育から普通通り大学に通えることになったからね。知らなかったろ?」
確かに初耳だった。高橋教授の今の話を聞かなければ俺は本当に大学の同級生とのコミニケーション不足が疑われていた所だ。
「通りで、見かけたことが無いと思った」
あの黒髪、一度でもすれ違い様に見たら目に焼きついて離れない。
一度食べた美味しい料理の味が忘れられないって言えば、感覚的に似てる様な気がする。
「しかし何故態々こんな醜態抜群、犬の糞で出来た大学に通信何かで?」
「言葉が過ぎるね。私に向けて言ってるとしか思えないんだけどなあ。それに、他人の事情まで把握してる訳じゃないしね」
それもそうだな、と頭の中で俺は頷いた。
彼女がこの大学に居るから会話が出来た。それだけの話だ。
「それで、約束の報酬の件ですが」
「それ、真面目に言ってるのかい?」
「大真面目です」と俺は両手を差し伸べた。
高橋教授は「ふむ」と呟いた後、後で教授部屋に来るように言われ、研究室から出て行った。

帰り道は何時も歩きだ。電車通いの俺は大学から駅まで20分の距離を歩く。
だが俺は一分前、後ろから軽自動車によるクラクションを鳴らされ、振り向けばその車に上席していた伊鈴の口車に乗せられ、車にも乗せられちまった訳だ。我ながら上手い事言った。
「昔から笑いのセンスは無いよね」
伊鈴にセンスを根から否定されるのはこれで最初で最後であるように祈った。
車内はカーステレオから流れる音楽に満たされていた。伊鈴は歌詞を口ずさむが、曲調と合ってい無い。
少しくらい下手な方が可愛げがあると言う物だ。俺はお世辞にも感嘆の言葉を送った。
そう言えば普通自動車免許を習得した伊鈴に対して、俺は今の所車を使うほど生活には困っていない。
が、久遠俺は次々に仲間達が愛車で遠出に行くのを見て多少の好悪はあったのだ。
願わくば車が欲しい。あのやかましい姉が居るアパートから時速240キロのスピードで山道の急カーブをドリフトし、エクスタシーに身を任せたままアパート事姉を突き破った後どこまでも逃げたい。因みに待ち構えてる素敵な行き先は頭に輪っかをつけた愉快な天使君。
「優君、聞いてる?」
「ああ、いや、聞いてなかった」
伊鈴は表情を強張らせ不機嫌さを俺に伝えようとした。
「だから、通信からこっちに移った子」
「誰それ」
「名前・・・何だっけ。忘れちゃった」
「香奈邊?」
「そう、その子。て言うか、知り合い?」
刹那、正面から大型トラックのクラクションと共に車体が大きく右に揺れる。
俺は勢い余って車の強化ガラスに頭を打ち付けた。
横切ったトラックからは「危ねぇだろ!」と言う罵声が聞えた。
伊鈴が蒼白の顔で俺を見据え、頭を打ちつけた俺は苦痛を堪えながら体制を整え、こう吐き捨てる。
「伊鈴、誰に俺の暗殺を頼まれた?」
「ち、違うよ!あのトラックが悪いんだもん」
安堵の息を吐くと共に、伊鈴の質問の答えを返していない俺は止まっていた会話のキャッチボールを再開させた。
「さっきの質問だが」
「うん、その子と知り合いなんでしょ?」
颯爽と決め付ける伊鈴に俺は否定の回答。
「一度会話した程度の仲だ。知り合いに属するのがが疑問。脳内会議で可決出来るよう最大限の努力はするつもり」
「えっと、つまり知り合いじゃないの?」
「まあ、顔見知りと言う奴だ。親しくは無い」
会話の中に捻りを咥えるのは俺の悪い癖だ。それ故鈍くドン臭い伊鈴には伝わりにくいのだと思う。
昔から可愛げの無い子供だと言われる事が多かったのはこの事が深く原因として関わっているのだろう。結構、人間多少捻くれていた方が面白い。
「・・・で、それがどうした?」
「周りはその子の噂で持ちきり何だけど、知らないかな」
「今日出会ったばかりだぞ?それに俺がそう言う噂に興味無いって、知ってるだろ」
俺は街並みに広がり、過ぎ去っていく光の後光を退屈そうに眺めた。
それくらいに俺はその話に興味を抱く理由が存在しなかった。
気乗りしない俺に、伊鈴はため息を付いて話の続きを諦め掛ける。
「まあ、少し気になるな。その話」と、如何にも興を持ったかのように見せかけ、実は伊鈴との会話の連鎖の鎖を繋ぎ止める為に言って見せただけ。
案の定、伊鈴の瞳に煌きが灯り、乱射銃の様に次々に話が飛び立って行く。
「友達から聞いたんだけどね、その香奈邊って子」と一区切り。
一秒後に吐き出される言葉は俺を衝動に追い込むのに十分な理由となった。
「人を殺してるの」
「・・・は?」
唐突な言葉に唖然の他無かった。それほど俺は内心で馬鹿らしく、皮肉れた。
「正確には自分からは一切手を出してない。呪い殺しって奴かな」
何の冗談だと俺は鼻で笑った。伊鈴の顔を見返した時、それは戯言の比<たぐい>では無さそうだった。
それでも俺は神経を尖らせてオチの無さそうなオカルトチックな話に乗ってやる事にした。
「へえ、凄いじゃないか」
「あれ、意外。私の事馬鹿にするのかと思った」
「あー、そうだな。今のお前最高に輝いてる。どんな薬物を使ったかは知らんが」
その瞬間、伊鈴は急激にハンドルを捻り、特に危険な曲がり角でも無さそうなカーブをF1ドライバー顔負けの凄まじいドリフトを繰り出した。
俺は、また強化ガラスに顔を強打させてしまった。脳みそが口から出るかと思うほどの激痛。
「お、お前な、古来人類が培ってきた言語文化と言う物を使わずに俺と和解する気は無いのか!」
「ないっ」
伊鈴は吹っ切れた様に鼻を鳴らして続きを勝手に語り始める。
「私の友達、隣の県から此処の大学に来てるんだけど、香奈邊さんと中学からの同級生だったらしいの。高校時代、その香奈邊さんを好きだった男が自殺したんだって」
俺はふと香奈邊の容姿を思い出した。あの整いすぎた顔と美しい黒髪が目に映れば誰だって一度話して見たいとは思うだろうし、熱狂的になりすぎてストーカーになる男が生まれたって、特におかしくは無い。それくらい彼女は綺麗な女の子だった。
「まあ、あれだけ綺麗ならフラれて自殺したくなる奴くらい、一人や二人居るだろうに。それが香奈邊のせいになるのは大きな間違いだろう」
「私もそれは疑問に思ったよ。でも、友達から聞いた話だと自殺した男は一人や二人じゃない」
「・・・正確な人数は?」
「5人。香奈邊さんが高校を卒業するまでの間だって。5人とも大抵の経路は同じで、彼女に告白をして振られて、恨み手柄にストーカーや嫌がらせ。行為はエスカレートする前にその人達は屋上から飛び降りて死んだんだって言う話何だけど、その時屋上に居合わせていた彼女を見たって言う目撃証言があって、更に呪い殺しの話は明確になった」
何とも奇怪な話であった。正直関わりを持つかと聞かれれば俺は間違いなくNOと答える。
「目撃証言、ね。だったら今頃逮捕されてる筈だろ?要するに明確な証拠が無いんだよ」
「でも可笑しいとは思うでしょ?」
「そりゃあ、まあ」と相槌を打つと、自動車が停止し、俺の住むアパートに着いた。
荷物をまとめ、シートベルトを外すと伊鈴の顔を見てお礼を言い、車を降りようとした時、ふと疑問が沸いた。
「なあ、伊鈴。お前の友達と香奈邊は同じ街に住んでいるんだろ?」
「うん、そうだよ」
「隣の県て言うと、車や電車を使えば十分此処まで来れる距離だ。何故香奈邊はつい最近まで通信教育だったんだろう。まさか友達も通信教育って言う訳じゃ無いだろ?」
「そうなんだよね。その事が気がかりだって皆で話してたよ。住む所が同じで交通機関は充実してるのに、何で香奈邊さんは態々通信教育にしたんだろうって」
教授は訳有りでの通信教育と言っていたが、恐らくそれに関連する事柄なのかもしれない。
俺はふと携帯電話を見ると夜9時を過ぎていることを確認すると同時に腹に空虚さを覚えた。
美味しい白いご飯が頭をよぎった。先ほどの話が嘘の様に消えうせ、脳内では食欲が只管本能を衝動させてる。
「また後で話そう」
そう告げて俺は伊鈴の車から下り、自分の部屋へと向かった。

リビングのガラステーブルに一通の手紙が残されていた。
そう言えば姉はどこに行ったのだろう。その疑問と共に手紙を開封していく。
姉からの手紙だった。ガサツな性格の割には実に女の子らしい丸字で文字は綴られていた。
『世話になった、弟。やはり伯父の家へ帰るね PS、彼女でも作れ仏頂面』
PSに綴られた文字を見た瞬間、俺は手紙を引き裂いていた。
「ようやく出て行ったか・・・」
安堵のあまり、俺は独り言をぼやくと同時にため息を漏らした。
それほどまでに俺にとっては朗報だったし、やっと自由な生活が取り戻せた訳だ。
思い直した俺は早速台所に入って遅い夕食を作ることにした。今日は気分に合わせて和食にしてみよう。
何故なら、俺がそう望んだからだ。

「やあ」
俺は軽く手を上げながら、大学キャンパス内のテーブルに座る香奈邊に挨拶をした。
片手に本を持ちつつ、退屈そうに外を眺めていた香奈邊は振り返り、俺に気付くと寂しげな笑顔を交わす。
香奈邊の了承を得ずに、俺はテーブルの向かい側に腰を下ろす。香奈邊はそれを阻止する様な抵抗を見せなかった。
会話が飛び交うことは無かった。俺は駅前の自販機で買ったコーヒーを飲みながら予定を確認し、香奈邊は読書に浸る。
暫しの時間が流れ、ガラス張りの壁から見える木々が風に煽られた頃、香奈邊は本を閉じて俺を見据えた。
見られているのを気が付いて居ないフリをして、手帳に書かれた予定を見る。
「多忙なのか?」
「いいや、予定がスッカラカンで誰かをデートにでも誘おうかとでも思っていた所だ」
香奈邊は本を手提げのバックに仕舞うと、テーブルに肘を置いて喋り出した。
「お茶を飲みに行く仲間も居ないのか?」
「いや、一名該当する暇そうな奴が目の前に居る」
「失敬だな、君は」
怒りを露にする事は無く、どちらかと言うと失笑程度と言った様子だろうか。
「お茶代くらいは奢るからさ、喫茶店にでも行かないか?」
俺の誘いを香奈邊は簡単に了承した。それは俺にとって多少斜め上の予想を行っていた。
香奈邊には誘いを拒む理由はいくらでもある。拒まない理由を考えるのも面倒なので、思い通りに事が運んでいるのを心の中で一人感嘆した。
何故俺がこの場で会話の場を設けずに別の場所を指定し、お茶のみなどに誘ったのか?
昔から人の素性を暴くのが得意だった。況してや呪い殺し等と噂されているこの人物の素性を知りたくない訳が無かった。
何事も冷静で、清楚な女が裏で援助交際をしていた小汚い陳腐な人間だった事もあった。
虐めの被害にあって居た世にも可愛そうな男子生徒が万引き常習犯だった事もあった。
仮面を被る事が容易い人間は必ずどこかで見下し見下され、皮肉な事に悪循環の輪の中に溶け込んでいる。
推理紛い、そう思われるだろう。だが俺はやってみせる。あの時、両親が交通事故に合うハメになったあの忌わしき犯人をより重い罪に追い詰めたように。
あの時、どうしても暴け無かった単純な空の中、飛び降り、死なねばならなかった理由を作った犯人を暴こうよしたように。
――――コイツの素性、暴いてやる。

小奇麗で洒落た喫茶店の店内は数人の客とマスターがジャズの音楽を主食に雰囲気に浸っていた。
仕事帰りのサラリーマンらしき男とふと目が合うと、相手は気まずそうにそっぽを向いた。
奥のテーブルに座る俺と香奈邊はメニューに書いてあるアメリカンブレンドコーヒーを二つを注文。
運ばれてきたコーヒーは蒸気を漂わせ、空気中を踊りまわりながら消えていった。
コーヒーを一口。ほのかに広がる苦味と深みのある味が俺の舌を歓喜させていく。
懇切に細工されたガラスの窓の向こう側は数分に二、三台通る程度の人気の無い道だった。
「理由」
「ん?」
突然の香奈邊の単語に、会話と言う名の懐探りは始まった。
「私をこんな所に誘った理由だよ」
「―――・・・・ああ」
俺はふと一瞬考えた。香奈邊の周りで起きている異常な現象を探ることが今回の目的であり、探りを入れられていると気付かれてしまってはアウト。
慎重に、尚且つ狡猾に攻めていかなければならない。さて、どう答えるか。
「そうだな、大学一のアイドル的存在のマドンナは俺と会話の余地があるのかどうかが知りたかった」
どう切り返すか。ある程度の予想を既に脳内に展開しているし、どう受け答えるかの準備も完了している。
これでもしも俺が香奈邊に付きまとって居た男達と同じ運命を辿るなら、笑える。それだけだ。
「女の扱い方を知らないホラ吹きだな。杉本は」
予想外の駄目だしに俺は多少の硬直をしざる負えなかった。
「杉本はルックス的に女受けだけど彼女出来た事ない、もしくは出来ても直に破滅する。そんなタイプだろ?」
「おいおい、行き成りハートブレイクはよせ。俺を精神的に殺害する気か?」
「図星か」と香奈邊はコーヒーを口に運びながらも笑った。
「杉本は嫌いじゃないよ。他の人とは違う、冷淡で現実的だし、それで居て積極的だ。でも付き合うとなると、やっぱり無理だ」
「それは俺だからか?」
「どんなに良い男だって、無理だ」
その時、あの研究室で見た何処か虚ろ気な笑みが、香奈邊への興味を一層高めた。
寂しげで、切なさと哀愁。こんな笑顔は日本中探したって、香奈邊にしか出来ない笑顔なのだと思った。
「香奈邊は俺に、これ以上関るな、と言ったな」
相槌すら返ってこなかった。それはそれで良かった。此処から本格的な懐探りが始まるのだから。
「俺は考えた。関るなと言われた以上俺は関るべきでは無いだろうし、唐突にそんな言葉を吐かれたら、大抵は嫌われただろうとか、思うだろ。特に思い当たる節も無い、先ほどの発言での嫌いではないと言う言葉。これじゃあ俺は嫌われているのか、好かれているのか、ちょっとスッキリしない。どうして俺に関るなと言ったんだ?」
伊鈴から聞いた香奈邊の噂は決して話題に混ぜはしない。本人から洗い浚い全て吐き出して貰った方が効率が良いからだ。
「それは・・・」と、香奈邊は言葉を詰まらせた。そして言った。
「何か、隠してないか?」
「・・・俺が?」
「そう」
「逆に問う。香奈邊は俺に隠し事はしてないか?」
「質問を質問で・・・」
「それはお互い様だろ?」
「・・・・」
更に沈黙。俺は言葉を続けるかどうか、多少迷った。ここで無理に攻めても香奈邊の機嫌を損ねる可能性もあるからだ。
「昔から人を不幸にするのが得意な私だ。変な事故に巻き込まれたら、嫌だろ?それに私は周りから白い目で見られてるから、関ると杉本まで・・・」
此処まで聞いた話だと、伊鈴の言う「噂」は案外何か関係しているのかもしれない。
だが、それ如き翻弄される俺では無かった。
「馬鹿だな、何だよそれ。人を不幸にするって、よっぽど俺に似合う特技だよ。それに、香奈邊鏡って見た事あるか?今度見てみろ。周りの奴らと比較すると、どんな美人も劣化品に見えるほどだよ。きっと男からの視線を白い目で見られてるって、勘違いしてるだけさ」
自分で何を言っているか正直良く分からなかったが、何か後々後悔する様な台詞が混じっていたのは確かだと思う。
しかし、そう自然に言葉に出来てしまうくらいに、多分俺は香奈邊に魅了されているんだと思った。そうじゃなきゃ、態々素性を探ろうだなんて思わない。
これで理解した。まやかしを動力に踊る噂、呪い殺しの美女は、ただの美女でしかない。
どれだけ積み上げられようと、それこそ意味の無いほどまでに、彼女は彼女出しかなく、どう見た所で普通の女の子だった。
俺の言葉に面食らった表情を浮かべた香奈邊の顔は、後に口元に弧を描いていた。
「うん、やっぱり私は杉本の事、嫌いじゃないよ」
「俺がどう思ってるか何て、聞かないでくれよ?さっきも言った様に、一般人の男なら例外なく鼻の下を伸ばす、そんな女と俺は会話してるんだからな」
俺は微かに笑って、残り少ないコーヒーを完全に飲み干した。微かなる奇怪を期待する想いと共に。

むさ苦しい夏は色あせ、やがて木の葉舞い散る秋の色彩に染め上げられていた。季節の移り変わりと共に、外の景色はいくらでも変わっていくのだ。
相変わらず俺と香奈邊は一定の距離を保ちつつその関係の一歩先を干渉せずに居た。
元は奇妙な噂の現況となった香奈邊に興味本位で近づいて居た訳で、裏を探る意外にそれ以上の接触は不必要だと肝に銘じて居たが、時が経つに連れ、感情は揺らぐ。
満更でも無いのか、自分で自分を笑うように、心の中で失笑した。
被る。あの女の子と、香奈邊が、俺の中で一体化するように、記憶が蘇る。
嘔吐したい。歯がゆい。胸糞悪い。
悔しさもこみ上げる。俺はあの時、彼女を助けられなかった事に、引き摺った想いを振りほどけないまま、大人になって、悲しいままに生きた。
そんな事だから、俺はどこか皮肉で捻くれてしまって、素直に生きられないんだろうと思う。
所で俺は今何をしているのかと言うと、教授の部屋の前に立っていた。
実はあの研究室の掃除の一件での報酬を未だに貰っておらず、その約束の話が頭の中でいつの間にか俺の中で忘却されていた記憶が蘇り今に至る。
正直報酬などは大して眼中に無い。対価無しのタダ働きをさせられた事実に対し、俺はこのまま野晴らしに見逃しておく訳にもいかない。ただそれだけの話だが、重要だ。
俺は扉を軽く二回ノックした。中から返事が返ってくることは無く、ノック音が虚しく響くだけだった。
「居ないのか」と俺はぼやきながら進行方向を変えようと本能的に思った。
一歩、二歩と動かした足を踏み留め、俺は振り返った。
勝手に部屋に入って本を持って行ってしまえばいいじゃないか。態々教授を居る時間を狙って来る必要は無かった。簡単だ。
罪悪感は無かったし、良心も痛まない。つまり今から行う作業は特に何か支障が起こりえる事が無いと言う事だ、と正当化精神で俺は教授の部屋を開け、中に入った。
相変わらず素っ気の無い部屋と加齢臭が漂う部屋だった。何に使うかも分からない薬品が棚に並べてあると思えば、その隣には無駄に多い地球儀の数々。そこらの教材室と何ら遜色が無い様に思える。
高橋教授が何時も座っているパーティクルボードやMDFなどの再生材料を使用した机があった。教授なりに環境の事を考えて再生材料を使った机を購入したのだろうか。
机に本が散らばる中、それは異端に思えた。何者にも領域を侵されまいと、その空間だけが優しい雰囲気を放っていた。
それは一枚の写真立てだった。写真立ての場所だけ、妙に片付けられている。
俺から見て、背を向けた写真立てに映るモノは見えない。
――ああ、これは恐らく俺如き他人が、教授の知られざる領域等に入ってはいけないのだろう。だからこんなにも神聖に見えるに違いない。
ではどうする?写真立てに映る像を、見ないで帰れるか?残念、好奇心は常に新たな物を求めたがる。つまり理性が行動を制止する為に要する時間が目の瞬きと等しいとしよう。だが刹那と言う一瞬の時間、好奇心は本能を刺激して理性の制止を振り切るほどの――――・・・。
「何をしているんだね、杉本」
俺の手は写真立てに触れるか触れまいかと言う掴む動作に入った瞬間で止まった。
振り返ると、そこには何冊かの本を抱えた高橋教授の姿。此処で本来の目的が報酬の要求である事を思い出した。
「取立てに来ました」
「何を?」
「ついに右脳まで痴呆に侵食されましたか教授。可愛そうな老人だ」
「いや、だから何を」
「報酬です。報酬」
一間開けて、教授は思い返した様に「ああ」と頷いた。どうやら本気で忘れていたらしい。
「私の部屋に取りに来いと言ってから大分経ってるじゃないか。これじゃあ痴呆じゃ無くても忘れるよ。普通。て言うか君も忘れてただろうに」
「まあ、確かに忘れてましたけど・・・。で、約束の品は?」
俺は報酬欲しさ、と言うより労働が報われたと言う証がさっさと欲しかった。これでは骨折れ損なのだから。
教授は呆れた様に俺を見据えた。やがて諦めが付いたと言う様にため息を吐き漏らし、机に散らばる本から一冊投げつけてきた。
両腕に抱えるように受け取り、品を確認すると俺は深く頷いた。
# by cocktail-oh | 2007-04-09 01:47